モーツァルト、人生の締めくくりに。
奥原由子
私たち日本人は、どう人生を締めくくるかを考えたり話題にしたりするのを避けがちですよね。実は私、還暦を過ぎてから意識し始めているんですよ。そこで、モーツァルトはどうだったのかに興味津々という訳です。
35歳で亡くなる彼は、30歳くらいから音楽で自分の「心情」を語るようになったと言われています。注文主の王侯貴族や出版社の喜ぶ、あくまで端正な心地良い音楽に「哀しみ」を含む「心情」プラスしてしまったようです。そんなもの、彼らにとっては全く余計なものなのに!
後世の私たちには感動をもたらす傑作も、当時はあからさまに敬遠されました。結果、収入は途絶え、家計は赤字、借金願いの手紙も残っています。
彼は何故、こんな犠牲を伴う方向転換をしてしまったのでしょう?
そこに至るまでの彼の人生を振り返ってみましょう。
人類最高の才能を持って生まれ、最高の英才教育を受け、超人的努力によって完成した空前絶後の実力。
加えて幼少時から、愛し愛されることをいつも求め、周囲を喜ばせるためなら全力でサービスする性格。
そんな不足皆無な彼が、就活で巡った主要都市で全て不採用!
採用決定の権力を握っていたのは、当時音楽の先進国だったイタリアの音楽家。自分達より才能が有る人材は迷惑。田舎出で無防備な若者の排除は簡単だったのでしょう。
その旅の間、無職の彼は出会った女性にプロポーズするも拒絶され、その上同行した最愛の母親を亡くします。
満身創痍の彼ですが、そこは実力。たどり着いたウィーンで、当時としては斬新なフリーランサーとして成功します。
そんな苦労の末手に入れた成功ですが、サラッと捨てて、売れないであろう「心情」をストレートに表現した作品を繰り出したのが30歳頃。
ここで、今回のタイトル「人生の締めくくり」登場。
ここから、いつもの私の妄想。何故の答え。
人並外れた才能が、人並外れた努力をし続けた歳月。
その間、彼の中に充満してきた「心情」。それを音楽で表現せずに、命を終わらせるわけにはいかないと思ったのではないでしょうか。
「心情」。
その中身は、過酷な人生を切り抜けてきた間の「哀しみ」。
それを癒し、乗り越え、前に進ませてくれる「希望」。
そして、幼少時から何があっても失わなかった周囲への「愛」。
もちろん、これらの表現のベースになっているのは、彼持ち前のあくまでスッキリとした完璧に明快な音楽。聴く者の神経を整えてくれる音楽。
そんな音楽だからこそ、当時の顧客だった苦労知らずの王侯貴族とは違い、ストレスいっぱいの現代の私たちの心に届いてくるのだと思います。
そこで、私の人生の締めくくり。
私自身も、しょっちゅう助けてもらっているモーツァルトの音楽。
感謝を込めて、その素晴らしさを友と分かち合い、熱く語り継いでいきたいと思っています。