アンデルセンの「絵のない絵本」から
奥原由子
4月に、同じ曲でも人それぞれ受け止め方はかなり違いますよね、と書きました。
同じようなことが、文学作品と読み手の関係にもあることを、村上春樹さんが書かれていることもお伝えしました。
今回は、アンデルセンの「絵のない絵本」、月に世界で見てきたものを語らせる短編集からです。
素晴らしい木々が茂り鳥が歌う森と、広々とした海の間の風光明媚な街道を馬車で通る人々のことが描かれています。
同じ森を見てもそれぞれの思惑は万別です。
木を売ったらいくら儲かるかとか、街道の風通しをひどく邪魔しているとか、全く無関心で眠りこけているとか、恋人と散歩したいなどなど。
そこへ画家がやって来ます。彼の目はキラリとします。鳥たちに「黙れ」と怒鳴り、集中して全てを書き留めます。
月いわく、「鏡がものを映すように写し取りました。美しい絵になることでしょう。」
次に貧しい娘がやって来ます。彼女は森を見て耳をすまし、海の彼方の大空を仰いだとき、目がきらきらと輝きます。そして、両手を合わせ祈ります。
月いわく、「娘自身にも、自分の中を貫き流れている感情が理解できなかったのです。」
(これ、私たちが名曲に出会ったときの感動に似てません?そっくりですよね。)
月は語ります。「娘が感じ取ったこの瞬間と周りの自然の方が、画家が限られた絵の具で描いたものよりはるかに美しく、ずっとずっと思いの中に残るだろうことを私は知っています。」と。
私たちは素晴らしい音楽に出会うと、その楽譜を読み取り自分の音で響かせてみたいと思います。できる限り美しい音と確実な技術で。でもそれだけではこの画家の作品のよう。達成感はあっても心は喜ばないでしょう。
この娘のように、祈るしかないような感動や畏怖や感謝を感じ取ったら、何とかしてそれを表現したいですよね。
もうすぐ発表会ですが、この話、参考になりますか。