古代中国、「楽」は「音楽」、そして「癒し」
奥原由子
▶︎ 「古代中国では、音楽の存在意義をめぐる議論が豊かに展開した。音楽はどのような存在であるか、音楽はどうあるべきか、と言った根源的な問題に関して思索を凝らした点で、中国文化はギリシア文化と並んで古代世界の中で光彩を放っている。」
笠原潔著「音楽の歴史と音楽観」より。
▶︎ 上記の書き出しに続き、当時は「楽」たった一文字で「音楽」も「音楽の存在意義」も表したと書かれています。
「楽しむ、楽しませる」「憂いがない状態」すなわち「心が癒された状態」だそうです。
▶︎ ここ最近、このHPのあちこちで音楽の癒し効果を書いてきました。
「音楽療法」「セロ弾きのゴーシュ」「病院でのコンサート」等。
これは古代中国的?
▶︎ 今日音楽は多面的。
様々なシーンで、様々な用途で響いています。
長い歴史の中で、多種多様な音楽が生まれ演奏され、受け手も一人ひとり千差万別にキャッチする。
▶︎ 私たちの分野、クラシック音楽との関わり方も人それぞれ。
同じ曲を演奏しても、聴き方も。
これは名曲の持っている多面的で奥深さと広さのおかげだと思う。
▶︎ 今ではすっかり身近なものだから、なぜ音楽に魅かれるかも改めてはっきり自覚していないことが多いように思う。
だから言葉にして表現するとき、耳や目の楽しみ、知性や教養の満足、ステイタスのシンボル、等々の側面が語りやすいのだとも思う。
でも、必ず心の奥底に「心が癒されている」ということがあるんじゃないかしら。古代からのDNAだもの。
心の声は表現しにくいし、ちょっと恥ずかしいからはっきり言わないのかも。
▶︎ ハッキリ言っちゃいます。私にとって音楽は「心の必需品」です。
今月の視聴曲、ショーバー作詩、シューベルト作曲「音楽に寄せて」。この、音楽に宛てた感謝状のような表明に熱烈大賛成です。
音楽、古代から人々が育んできた心の大河のような世界を、皆さんと一緒に旅が続けられるのは喜びです。