モーツァルトとスミレ
奥原由子
今月、視聴曲と掲示板に「すみれ」を取り上げました。
2月にお聴きいただいた「春への憧れ」にもスミレが登場します。
そして、お父さんが亡くなって間も無く作曲した「夕べの想い」にも。
この3曲は、モーツァルトの歌曲の中でも名曲中の名曲と言われていますす。言葉で書かれている内容を、メロディ、リズム、ハーモニーで明確に表現している特別な曲だからです。それどころか、表現されている心情がより深く聴き手に伝わってきます。
歌詞はもちろん自作ではありませんが、モーツァルトの特別な感性が、必然的に、自分が表現したかったものを見つけ出したかのようです。
そして、そこに共通してスミレが登場するのは、なぜ?
ここからは、いつもの私の妄想。ただし、モーツァルトに愛を込めて!
まず「すみれ」。
スミレは、娘さんに一目惚れする一途な青年として描かれます。命も差し出そうという彼に彼女は気付きもせず、踏み潰してしまいます。この顛末を逐一明瞭的確に描いた曲の最後に、モーツァルトは珍しく、オリジナルの詩にはない一節を書き加えます。
「可哀想なスミレ。彼は心を持ったスミレでした。」と。
この深い共感!
幼い頃から、周囲の人達を愛し、喜ばせることに命懸けで心を傾けて生きてきたモーツァルトだからこそのもの。
こんな人間、長生きできませんよね。
次は「夕べの想い」。しみじみとした内容の歌詞の一節に。
「僕が死んだらお墓に来て、スミレを一輪手向けてね。
そしたら僕は天国から風を送ってあげる。
そして恥ずかしがらずに涙を流して欲しい。
その涙は真珠になるよ。」
二十歳頃から常に死の近くで生きてきたモーツァルトです。
成就しない就活の旅に同行途中の、早過ぎた母の死。後に何人も子供を亡くし、彼自身の体調不良に加え、遂にきた敬愛するの父の死!
ノックダウンです。
でも、この曲を書いた後、吹っ切ったように再び名曲の数々を紡ぎ出します。自分の音楽を、最も聴き続けて欲しかった天国の人達。彼らに、涙と共にスミレを手向けるように、素敵な曲を届けよう。心は必ず通じ合えるよ。と、思ったのではないでしょうか。
そして、「春への憧れ」。 少年が春を待つ妹のために、「春さん早く来てあげてよ。スミレを連れて来てね!」と頼みます。
この曲の書かれたのは、12月に亡くなる年の1月。
この頃の彼は、健康もお金も失い、正に厳冬の真っ只中。
しかし、この曲を書いた後、見事なV字回復を果たします。
「魔笛」や「レクイエム」などの大きな大きな傑作を生み出します。
ということで、なぜスミレ?
暗く寒いヨーロッパの冬。人々は待ち侘びる春のシンボルに、思わず微笑みを誘う愛らしいスミレを選んだのでしょう。
「明るい春を連れて来たよ、全て必ず良くなるよ!」と歌ってくれるような。